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ロキは、赤い瞳で見上げてくる幼子をじぃと見つめていた。
その指は、幼子の手にしっかりと握り締められている。
「ごめんね……」
それは、誰に対しての言葉だったのだろうか。
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今、宮中はシュシュの出産でてんやわんやになっている。
ある者はスヴァリが妙な気を起こさないようにと見張り、ある者は産まれ出でる子が無事である様にと願い…。
そんな最中、ロキは幼子の部屋で一人で居た。
アルファズル皇帝、アルダフェズル・ハーヴィ・アルファズルの第一子…つまりは、スヴァリの子供の部屋だった。
幼子は見事な赤い瞳を持つ…男子だった。
「昔ね…兄様は俺が泣くと、いつもクッキーを焼いてくれて…。きっと君にも作ってくれるだろうね。…心配しなくても良いよ…兄様は、赤子の俺を育てた程だから…君の事もちゃんと育てられるよ。あ、でも…随分昔のことで、巧くはいかないかもしれないね」
ロキは、幼子に語りかける。
「可愛い子…愛しい子…。君に、祝福を」
そっと、その額に口付けを落とした。
あの日。
そう…この幼子が産まれた祝福の宴の夜に。
「兄様?」
酔いつぶれた兄を寝室へと送り、ベッドに寝かせ…。
「兄様っ!」
耳元で自分の名を熱く、熱く囁く兄の声。
『ロキ…ロキ…俺の…』
ロキ・ローレンズ・アルファズルは兄、アルダフェズル・ハーヴィ・アルファズルと交わった。
それが、酔いつぶれた兄の一方的な行為であったにせよ……。
ロキは、そのたった一度の契りで…。
シュシュはどうやら難産であるらしい。
王宮は慌しい。
母親が誰であれ、皇帝の子である。
そんな中、王宮の馬小屋に一つの影があった。
「行こうね…」
愛馬をさすり、ロキは呟く。
ここに、このまま留まる訳にはいけない。
誰に知られるわけにもいかない。
だからこそ、ロキはここを去る。
愛すべき兄と、産まれたばかりの幼子と産まれ来る赤子の為に。
そして……
「どこへ行く気だ!」
その声に、びくんっと身を竦ませる。
薄闇から出てきたのは…
「…レグルス……」
アルダフェズルの警護にあたって居る筈の、レグルスだった。
「…どこへ逃げる気だ、ロキ」
「見逃して、レグルスっ!ここに、俺は居ちゃいけないんだ!」
ロキの妊娠をレグルスが知って、まだ3日と経っていない。
レグルスは、ロキが起こすであろう行動を予測して居た。
シュシュの出産で宮中が慌てている今がチャンスだ。
わからないわけがない。
「どこへ行こうと、一週間も持たない。お前には、下等魔族並の魔力しかないんだぞ、ロキ!」
「…知っている…でも…っ!」
ロキが、真剣な眼でレグルスを見た。
「産みたいんだ…この子を…」
ここでは、兄に迷惑がかかる。
幼子達にも、その母親にも。
そして、自分に宿った命にも。
「二度とここへは帰らない。この子をたてに兄様をどうこうしようなんて思ってもいない。俺は…!」
ふわっと、体が宙に舞い愛馬の背に乗せられてしまう。
「ロキ」
愛馬にロキを乗せた張本人、レグルスが緊張した面持ちで問いかけた。
「その子の父親に、なれないか?」
「え?」
「…鈍いヤツだ」
レグルスは苦笑する。
ロキの行動なんてお見通しだ。だからこそ、ここにいた。
「プロポーズだよ、今のは」
「…っ」
そして…
「レグルス…俺…」
「知っているよ。アルのことが好きなんだろ?…ロキは」
ロキはアルダフェズルを愛している。
二人が相思相愛だったのを互いに告げずなんの行動も起こさなかったのは、レグルスもまたロキを愛していたから。
二人がくっついてハッピー・エンドになんてさせないと思った。
けれど、結果それがこんなに愛する人を苦しめている。
ひらり…と、レグルスは優雅な仕草でロキの愛馬の後ろに乗った。
「れぐ…るす…?」
「知っていたさ、それくらい。ただのけじめだ」
「レグルス!」
大声を出すと見つかるぞとレグルスがロキに囁く。
「お前一人じゃ、一週間どころかこの城抜け出して三時間ももたない。…行くぞ」
「れぐる…」
レグルスが、突然馬を走り出させた。
「アルファズルの騎士長が付いてるんだ。どこに行ってもやっていけるさ!」
元だけど…。
レグルスが笑う。
「俺は、お前に何も求めないよ、ロキ。ただ、お前とその子を護らせてくれ。これが、俺の愛し方で…そして親友に対する裏切りの…唯一の償いだ」
すまない。
全て知っていて黙っていた。
時に、それが罪と化す事がある。
今後、この国の王族は荒れるだろう。
スヴァリの子とシュシュの子…。
後継ぎ争い。
そして、ロキの失踪で。
すまない。
黙っていたことが罪と化す事もあるが、黙っていなければならない時もある。
今がその時だ。
ロキとそのお腹の子…父親を悟られてはいけない。
二人に危険を与えない為に。
黙っていたという罪と、ロキを連れて逃げるという罪の二つ。
裏切り者としての唯一の償い。
この二人を守ろう。
命、尽きるまで。
この…。
アルファズル帝国騎士団団長の名にかけて…!
その夜。
あまりのあわただしさに、至玉と騎士長が消えた事を誰も気付けなかった。
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