|
―――暗黒界・アウストリの街。
ざわめく街の中心部にほど近い噴水に越しかけた青年と片手にウサギのぬいぐるみを持った童女。
「美味しいかい?」
童女は一生懸命、お菓子を頬張っていた。
問いかけた青年への返答はない。
けれど。
「そう…。美味しいの。一つ買って帰ろうね。そしてまた今度、街へ来る時に買ってあげるね」
まるで表情を読み取ったかのように、青年は微笑んだ。
「待たせたな」
そこへ男が合流する。
三人とも、決していい身形ではない。
薄汚れた格好。
「今日は、高値で買い取ってもらった薬があったからな。…いい子だな。もう一つ買ってやるよ」
男は童女の頭を撫でる。
食べ終わったお菓子を惜しむかのように手をぺろぺろと舐めていた童女は、顔を上げた。
漆黒の髪に、美しい銀灰色の瞳。
にこりともしない童女は小さな漆黒の翼をパタパタと広げた。
アルファズル帝国がどこにも侵略されない大帝国…正確には、恐怖国になったのはいつの頃からだったか。
皇帝、アルダフェズル。異名を『漆黒の死神』彼と剣を交えた者及び国は全て滅ぼされた。
数十年前まではそうではなかった。
慈悲が、あった。
けれど。
現在の彼には、慈悲はない。
たった一人の愛しい弟を、二十年前親友に奪われてしまった彼は…ただの破壊者となっていた。
それに加え、彼の息子達も父親の性質を色濃く受け継いでいたのだ。
+++++
―――アウストリの街の南ウナヴァーガルの森
激しい物音がする。
「魔獣討伐か?」
「まさか…ウナヴァーガルは暗黒界一魔獣の多くそしてレベルも半端じゃないものばかりなんだよ?」
男の言葉に、青年は驚いた顔をした。
「力試しとかいうヤツだろう…多分な。己の力量も知らぬもの…そしてどこまで強くなれるか強さを極める者…」
魔獣が多くてレベルも半端ではない…そう言った筈の青年は、堂々とその森を歩いていた。周りに魔獣がちらほらと居る。だが、どれも青年達を襲う気配はない。寧ろ…
「あ!見て!これ、滅多にない薬草だよ!探してきてくれたんだぁ!」
まるでこの森の主といわんばかりに、魔獣達は青年に心を開いていた。
けれど、またもや激しい破壊音。
「どうやら…シニルの領域に立ち入ったらしい。運の悪いヤツめ」
シニルとは、この森に生息する魔獣達の王だ。
「運が悪いって…とめなくっちゃ!シニル相手に勝てるヤツなんて…」
そう居ない。
「……かーたま…」
童女がぽよぽよ浮いて、青年に擦り寄る。
「……シニル…ダメ?」
そして、次ぎの瞬間スピードを上げて、激しいもの音のほうへと飛び去る。
「ちょ!」
「放っておけ。この森の連中はみんな俺達の味方だ。それに、あの子の事はお前が一番わかって居るだろう?」
「それは…そうだけど…」
それでも、心配そうに青年は童女が消えた方をしきりに振り返った。
携えた剣は既に役割を果たさないほどにボロボロだった。
ウナヴァーガルに強い魔獣が居ると聞いた。
だから、来た。
自分の力を試すために。存在を認めさせるために。
………死ぬ、為に。
もしここで勝って返れるのであったのならば、自分は『強い』。
もしここで負けて死ぬのであれば自分は、『弱い』。
ただ、それだけ。
青年には、それだけしかなかった。
強さのみ。
それが、青年が今最も必要として居ることだった。
漆黒の髪は荒れ、服は破れ、体中には傷がついている。
「ちっ…ここまでか」
青年は覚悟を決めたように一度目を閉じた。
しかし……。
「めぇ〜」
ぽーとした声がして、今まで狂暴に青年を襲っていた魔獣・シニルが大人しくなった。
ぽよぽよと銀色の黒い物体が浮いている。
「…こ、ど…も」
青年は、この魔獣の巣窟に居るはずの無い幼い子供がぽよぽよと浮いていることに驚いて目を見開いた。
「シニル…めー…なの…かーたま…めー…」
魔獣・シニルは一声まるで犬が甘えるみたいに鳴いて、のそのそと茂みの中へと消えていく。
「…にーたま……ここ、めーなの…」
幼い童女は、青年にここに立ち入ってはいけないのだと白いウサギのぬいぐるみを持ったまま、青年に告げる。
「きさま…は…」
「にーたま…ここ、マージューが一杯…来ちゃ、メーなの…」
「おかえ…」
青年は、家に帰ってきた童女とその連れを観て驚いた顔をした。
「すまないが、一夜の宿と食料を分けてくれないか?」
「え、ええ…こんな狭く汚い家で良ければ…」
青年は、童女が連れ帰った客人にそう答え、木製の椅子を薦めた。
「見た通りの東屋ですが…」
「構わん。雨露さえしのげればな」
客人の偉そうな態度にも青年は苦笑しただけで、置くから何やら木箱を持ち出してきた。
「東屋ですが、薬師を営んでおります。傷の手当てを…。ご心配なく。この、ウナヴァーガルは薬草の宝庫なんです」
青年は、客人の傷の手当てをしていく。
「貴様らは何故、こんな魔獣の巣窟に住んでいる?」
「……簡単な事です。俺を見てどう思いましたか?」
「…こんな所には居る前に街で他の者に殺されているほどの低レベルだな」
その声に、青年は苦笑した。
「そうですね…でも、何故か好かれるんですよ」
「好かれる…?」
「ええ…」
青年は、にっこりと客人を見上げた。
「魔獣とか…に、ね」
客人は、驚いて青年をその赤眼で見下ろした。
「何故奴を泊めたっ!!」
男は小屋から少し離れた場所で、青年に怒鳴った。
「何故って…放っておけないだろう……?」
「放っておけないからだと?! 森の間獣共に言って、この森を抜けさせて追い返せば良かったんだっ!」
「だって……」
もういいよ、と男はほうっと溜息をついた。
「お前はこんなヤツだよ…。それは嫌と言うほどわかっているさ」
「…ゴメン」
いいよ、大丈夫だからと男は青年の頭を撫でた。
「…気をつけなければいけないな…」
男の言葉に、青年は複雑な表情で頷いた。
+++++
男の言葉とは裏腹に、客人は度々この地へと訪れた。
ある日は、手土産を持ち…。
ある日はただ、木漏れ日にあたりに…。
魔獣達は、客人を襲うこともなければもてなすことも無い。
ただ、警戒していた。
そう…。
青年と童女に何らかの害を与えることないようにと。
「にーたま…」
ぽよぽよと、木の上で昼寝を決めこんでいた客人に童女が近寄ってくる。
「かーたまが…おやつ、いかが?」
「…もらおう」
片手に童女を抱き、客人はバッと木の上から飛び降りた。
「いらっしゃいませ」
青年は笑顔で迎え入れる。
客人は、ふとさり気無くあたりの気配を探った。
小屋の外に一つ。
強い魔力を感じる。
それは、魔獣などの魔力ではない。
「あの男は、何故姿を現さん?」
それに、青年は苦笑する。
「人見知りをするんですよ。…さぁ、おたべ」
青年は、童女と客人に向かいスコーンを差し出した。
王宮は、澱んだ空気に包まれていた。
以前には考えられなかった空気だと、軍師ガルム・ヘズは思う。
以前ならば、ここには癒しがあった。
誰も気がついていなかっただろう。当の本人すら気がついていなかったのだから…。
「陛下は?」
ガルムは、皇帝直属の近衛兵に声をかけた。
「…それが……」
言い澱む姿に、アルダフェズルの意場所を察する。
「わかりました。ご苦労」
彼は、あの部屋に居るのだろう…。
彼が愛したたった一つの魂のあった…その抜け殻の部屋に。
あの部屋に足を踏み入れるのは、ガルムには許されていない。
否。
ガルムにすら、許されていない。
(レグルス…貴方は一体…?)
何を考えていたのですか?
あの二人に一体何があったのだろう。
どこも変わった様子は見受けられなかった。
そして、レグルスの性格から『ロキを攫って逃げる』という事は考えにくい。彼ならば、最後まで堂々とロキの目の前でアルダフェズルとやりあったはずだ。
けれど…。
現実なのだ、レグルスがロキを攫った事は。
共に…消えた事は。
かつて…。
祖国を滅ぼされたアルダフェズルの呼び声に真っ先に駆けつけたのは、何をかくそうレグルスだった。彼らは、親友だった。だからこそ、アルダフェズルの痛手は大きい。
「…ガルムか…」
低い声。
「……エルムトを落しに行く」
薄暗がりから現れた影は、そう言った。
「今から、ですか?」
「明朝だ。伝達しろ」
近衛兵を従え、歩く姿。
「…アル…」
アルダフェズルは、完全に自分を……。
存在している意味すら見失ってしまった。
現在、アルファズルは、隣国エルムトに攻め入るチャンスを伺っている。
一体いつから隣国になったか…軍師・ガルムですら覚えていない。
ここ20年。
落ち込んでいたのは、5年。
あとの15年間、アルダフェズルはずっと戦い続けている。
慈悲もなければ、なんの意味もない戦いを。
++++++
「このまま、エルムトへ出国する」
突然、漆黒の馬で現れた客人はそう重々しそうに告げた。
「…エルムトと言うと…かなり軍事力は強いですね」
「ああ。死ぬつもりはないが、相手は殺す気がある。戦、だ」
客人はそう呟いて、童女の頭に手を置いた。
「…そうですか」
「その前に、もう一度チビの顔が見たくてな」
青年は、困った様に微笑む。
「チビ…帰ったら、街で好きなものを買ってやろう」
童女は片手に相変わらず白いウサギを抱えたまま、もぐもぐと青年に出されたスコーンを食べている。
「…一つ、気になる事がある」
「……なんでしょう?」
客人の赤い瞳を、青年はしっかりと受け止めた。
「お前は男性体だが…チビは、お前が産んだのか?」
こくり…青年の首が上下に動いた。
「では…いつも外にいるのが、旦那か?」
それに対して、青年は困ったような微笑をたたえていた。
「詳しい事は聞かん。修羅場は嫌いでな」
客人は、追及をやめる。
「…そろそろ戻らなければ…」
「皇太子がいつまでもこんな所にいては、軍の士気が落ちます」
ぴくんっと、客人が反応した。
「知って…?」
「ええ、一目お会いした時より、存じ上げておりました。ご無礼とは承知の上…切りますか?」
ふるふると、客人は首を振った。
「いや…。お前のようなものは始めてだ。私の立場を知っていながら…尚、普通に接するとは、な」
「時に、己の立場が重圧になることもございますでしょう?」
ふっと、客人の口元がほころびる。
「もっと、早く出逢えていたら…」
「……」
青年は、一度自分の左の中指にはまる指輪を見た。そして、次ぎに顔をあげ客人…皇太子を居抜く。
「こちらへ…」
「?」
童女を伴い、青年は東屋の奥へと入って行く。
奥へ、奥へ…。
「これ…は?」
そこにあったのは、あらゆる形の装飾道具。
それも、かなりの年代ものだ。
「お選び、下さい」
「選ぶ…?」
「そう…。けれど、既に糸は結ばれてしまっているようですけれど」
青年がくすくすと笑う。
その言葉通りに、皇太子は古びた黒い短剣を手に取った。
「持っていきなさい。これが、貴方さまの御身を守ってくれることでしょう」
「これが?」
信じられないというように、こばかにしたように皇太子は鼻を鳴らした。
「ええ」
それに、青年はやんわりと微笑んだ。
「皇太子…いいえ、貴方を…守ってくれることでしょう。凛・バーレイグ」
「皇帝は『漆黒の脅威』、その息子がアレ、か。まったく…揃いも揃って。似たもの親子としか言い様がない」
「あれぇ?それは偏見というもの」
凛が立ち去った直後に現れて呟いた男に、青年は驚くでもなく答えた。
「皇太子だかなんだか知らんが…。直ぐ傍の気配にも気がつかぬとは、まだ小物だな」
「いずれはアンタも超えるさ。アレが、扱えるのだったら」
フンっと、男は鼻を鳴らす。
「いますぐ軍に加わりたいんでしょう?」
「お前は、今すぐ皇帝を止めたいんだろう?」
窓の外に広がる青空を、二人は挑む様に睨み付ける。
「…一生…」
青年が口を開く。
「一生、無いことだろうね…互いに。作業場に居るよ。専念させて」
ぷつぷつと、青年が服を脱ぐ。
「…サマになっていたな、敬語も」
「からかわないでよ……レグルス」
上半身裸体を曝した青年の胸には、美しい白い百合が咲いていた。
|