愛の巣へ落ちろ! 




  六

「このスズキのポアレ、美味しいねぇ〜」
「…焼き鮭食いてぇ……」
 『ノクターン』が流れる昼時のキュイジーヌ・オリオンで、翼は肩を落とした。
 席に着いたとたん、四方八方から視線を感じる。
 ――澄也サマがあんな地味な子をお相手したなんて…。
 ――いかもの食いってやつだろう。澄也サマも退屈されたのさ。
(つーかさ…澄也サマかよ…サマ! もう、ツッコむのも面倒だけどさ)
 翼は深々とため息をつく。
 結局二日間寝込んでいた翼が再登校したのは今朝。
 朝から寮の食堂、学校の廊下、休み時間の教室、場所を問わず「あの澄也サマが物好きにも食べた子」として噂され続けている。
「何で俺が澄也先輩に食われたこと、学校中にバレてんの?」
「えっ、ええ〜、翼ったら…ほんと純情なんだからぁ…」
 央太が真っ赤な顔でくねくねした。
「翼から、澄也先輩の匂いがすっごい香ってたもん。今は少し落ち着いてきてるけど、二日間寝てる間、部屋の外にまで匂ってて…タランチュラの媚毒ってすぐ匂いがうつるから、バレバレなんだよぉ」
「俺は感じねえんだけど……迷惑な話だぜ」
 自分の腕をくんくん嗅ぎながら、翼は顔をしかめた。きっと、澄也から香るあの甘い匂いが自分からもしているのだろう。
「で、でもさ…なんか…翼からも、いい匂い、してるんだよね…」
 央太が、もじもじした口調で付け足した。
「…あのお風呂場でも香ってビックリしたんだけど、つ、翼の香り、澄也先輩とのえっちの後で急に強くなって…」
「えっちとか言うな、気色悪いぞ。俺は香水なんかつけてねえよ」
「じゃなくてぇ…んもう、翼の鈍感ッ」
 真っ赤な顔で頬を膨らませる央太の意図が分からず、翼は眉を寄せ、ニンジンのグラッセを口に入れた。
 ――姫。
 ふと食堂の中がざわめいた。視線が入り口に集まり、その気配につられて翼も顔をあげる。
「姫がこのキュイジーヌ・オリオンへ…! お珍しい」
「相変わらず、なんて可憐なんだ! 小型のハイクラスの美しさはまばゆいほどだね」
「シルベール姫……我が星北のフロイライン!」
 かわされる囁き声に、翼の鳥肌がたつ。
「うわぁ……翼、ミザール寮のプリンセス、シルベール苔山先輩だよ」
 食事する手をとめ、央太が頬を染めて呟く。
だからその姫とかプリンセスって何だよと言いたいのを抑え、翼は食堂中の視線を受け、優雅に歩いてくる少年へ眼をとめた。
小柄だ。背丈は翼とそう変わらない。けれど、透き通るような色白の肌、天使のように巻く、明るい赤毛。虹彩の薄い瞳に、ばら色の頬と唇。
 たしかにとんでもない美少年だ。背後には長身の男達が数名、まるで家来のようについてきている。
「……なんだあれ」
「知らないの? ミザール寮の寮長で、あまりに愛らしいから皆から姫って呼ばれてるんだって。あと、シルベールとか」
「シルベールって何だよ……。なんかヤバいんじゃねぇの、出典大丈夫なんだろうな」
 ますますついていけない翼だ。
「やあ、君が噂の青木翼くんだね」
 姫だかプリンセスだかは無視して食事を再開しかけた時、不意にその美少年が声をかけてきた。
 周囲がまたどよめき、「姫がシジミチョウにお言葉を」という囁きが駆け巡っていく。
「ボクは三年の苔山猛。セアカゴケグモ出身だよ。皆ボクのことはシルベールとか、姫とかって呼んでくれてるんだ。君さえよかったら、そう呼んでくれても構わないから…」
 にっこりと微笑まれ、翼は「はあ…」と返事するので精一杯だった。セアカゴケグモは小型の猛毒蜘蛛で、文句なしのハイクラス種だ。
「君があの、レッドニーの七雲くんと懇意にしてるのは知ってるよ。まるでシンデレラのみたいだよね、うらやましいなあ、おめでとう。ボクにも祝福させてほしいな」
「あ、そりゃ、どーも」
 翼には、何が祝福なのかいまいち分からない。しかし周囲からは、
 何とお優しい…
 さすが姫…
 と、感嘆の吐息が漏れている。
「君の幸運にボクも是非あやかりたいんだ。放課後、ボクは南棟の四階で特別なお茶会を開いているんだけれど……よかったら来てくれないかしら?」
 とたん、周囲から驚きの声があがる。
 ――そんな…! 姫がシジミチョウをお茶会に誘われるなんて!
 そんなことより翼はシルベールの「かしら」の語尾が気になっていた。
「サー・鎌野、彼に薔薇の招待状をさしあげて?」
 シルベール苔山が言うと、背後に控えていた男の一人がすっと進み出て翼に白い封筒を差し出した。封筒には、薔薇が一本挟まっている。
「この薔薇は、君との友情の証。薔薇はいずれ散るけれど、僕らの絆は多分永遠だよ」
(あ、なんか今寒気したかも……)
 ぞうっとしながら、翼は封筒を受け取った。封筒の表には、金箔で『ようこそ僕のナイト』と書かれている。
「君の来訪を待ちわびてるね」
 小首を傾げて微笑むシルベール。わざとらしく見えるのは翼の勘違いだろうか。
「…どうも、苔山先輩……」
 しぶしぶお礼を言った瞬間、シルベールのこめかみがぴくっと動いた。
「姫と呼んでくれて構わないのに」
「はあでも、何か呼びにくいんで……苔山先輩でいいです」
 にこやかに笑っているが、シルベールのこめかみはヒクヒクヒク、と震えた。
「頑固者なんだね……いいんだ、神が怒っても、ボクは君を許すよ」
「? はあ…」
(いちいちワケわかんねーヤツ!)
 大体、男に「姫」と使うことなど、庶民感覚の翼には恥ずかしくてできないのだ。
「君のその意志の強さにとても魅かれてる。ね、ボクの騎士になりたいなら、考えてもいいんだよ。君にサーの称号を授けるよ」
 おおお、と食堂の生徒たちが驚く中、一人翼だけが冷めていた。
「いや…騎士とか興味ないんで」
「照れることなんてないのに。君は身の程を思って遠慮してるんだね。いいんだ、ル・ベベ。お茶会で会おうね」
 ひとしきり見当違いのことを述べたシルベールが取り巻きを連れて食堂を出た後、翼は肩に重く疲労がかかるのを感じた。
「す、すごいねー!、翼、シルベール様のお茶会に誘われちゃったよ! しかもあの、シルベール騎士団にまでお誘いが!」
「……お前行く?」
 この学園、ほんとわかんねぇ……。
 ぐったりしながら、翼は受け取ってしまった封筒を胡散臭げに眺めた。

 央太は散々行けとうるさかったが、翼はシルベール苔山の誘いなど最初からすっぽかすつもりだった。少なくとも今日、行く気はなかった。放課後毎日やっているなら、別に急いで行くこともない。翼は今日の放課後、やりたいことがあった。
「見学?」
 武道用の練習施設の入り口で、剣道部の主将が、あからさまにいやな顔をした。上から下まで舐めるように翼を眺め、それから鼻で笑った。
「見てもいいがね、悪いけど、君は入部させられないよ。見学だけでいいなら、どうぞ」
 男らしく精悍な顔をしているくせに、口調は厭味で表情はいやらしかった。ムッと主将を睨みあげ、翼は持っていた入部届けをぎゅっと握り締めた。
「どうして俺は入部しちゃだめなんですか」
「愚問だな。君みたいに小さくて弱そうなのは、使い物にならない」
「やってもないうちに決めつけるなよ! 俺だって男だぞ!」
 イライラと叫んだ翼へ、主将の冷たい眼が光った。その背後で、クスクスと悪意のこもった笑いが起こる。練習を中断したらしい部員たちが、小ばかにしたような顔で翼を指差して嗤っていた。
「察してくれないかな。我が星北の高貴なる剣道部に、君みたいなシジミチョウを入れるわけにいかないんだよ」
「…何だよソレ」
 ただの、差別じゃねぇか。新たな抗議を口にする前に、翼の背後がガヤガヤと騒がしくなる。振り向くと、見学に来たらしい一年生の集団だ。当然、翼と違うハイクラス種の生徒達。
「やあ、見学かい。よく来たね、歓迎するよ!」
 とたんに主将の態度が変わる。
「星北の剣道部はいつも全国大会に行くって聞いてるので……」
「そうだとも。君、初心者かい。いい体をしてるね、出身はクワガタかい、是非入部してほしい。まずは見てってくれ」
 一年生を誘導しながら、主将は施設の中に引っ込んでしまう。集団におしのけられて、翼はよろめいた。勧誘する部員たちの声が、施設の中から耳に届く。
 一人ポツンと残された翼は、唇を噛みしめた。

(……ほとんど全滅、か)
 星北の部活一覧が書かれた紙の、「剣道部」の記述を傍線で消しながら、翼は北校舎の二階を歩いていた。
 放課後、無人の廊下に立ち止まり、ため息をつく。見学はよくても入部は断ると言われたところ、二割。見学さえ断られたところ、七割。運動部だけじゃなく、文化部でも同じだった。集団の和が乱れるとか、できるはずがないからとか、色々理由は言っても、結局は翼がシジミチョウだからダメなのだ。
(…何なんだよ、部活やるくらい、いいじゃねえか)
 中学もまともに行けなかった翼は、ずっと、放課後の部活に憧れていた。
 皆して、一つのことに熱中する。練習があって、力試しのときがあって、その緊張感や同じ仲間との連帯感がずっと羨ましかった。高校に入ったら、何か、何でもいいからやってみたいと思っていた。運動もほとんど制限されてきたから、せめて長くない人生、一度くらい真剣にスポーツをやってみたいとも思っていた。
(…なのに…何だよ。俺が何したって言うんだ。シジミチョウってだけじゃねえか)
 悪口を言われることは平気だ。軽蔑されても、見下されても、気にしなければいいことだ。
 一緒にいてくれる央太からは、いつも元気をもらっている。兜は公平だし、真耶はむしろとても気遣ってくれる。
 それだけで十分だと翼は思っている。ものすごい幸運だったと。
 だけど、入り口さえも開いてもらえないのは、さすがにキツい。
 開かれない扉の中には、どうしても入っていけない。
(…頑張るだけじゃ、ダメなのか……?)
 弱気がむくりと顔を持ち上げた時、ふと見下ろした窓の下に澄也の姿が見えた。
 銀杏の木陰で、澄也は細身の男と何か話していた。
(ああ、あれが、澄也先輩の趣味なわけか)
 趣味じゃないから、お前のように小さいのは抱かない、と倒れた時に聞いたことを思い出しながら翼はぼんやり相手の男を観察した。
 背は高い。真耶ほどはある。モデルのように細く、しなやかな体で、腰が引き締まっている。色白で、睫毛が長く、鼻筋の通った美形。明るい色の髪。
(そういえば…寮の廊下でセックスしてた相手…かな)
 その顔に見覚えがある。髪を振り乱し、あられもない声をあげて澄也にすがっていた男だ。思い出して顔がほてるのと同時に、なぜか胸のさしこみが鈍く痛んだ。
 相手の男が突然澄也に抱きついたかと思うと、自分からキスをしかける。澄也の腕がその男の背に回り、その一瞬、澄也の琥珀の眼がちらと二階の窓を見上げた。
「…わっ」
 眼が合った。翼は慌てて窓に背を向け、見ていないフリをした。でもきっと、バレている。
 おそるおそる肩越しに振り返ると、澄也はもう翼を見ていなかった。相手の男と、こっちにまで音が聞こえてきそうなほど激しいキスをしていた。
 乱れるように相手の体をまさぐりあう二人を見ていると、興奮より先に、胸が痛んで不思議だった。
(こりゃ、言われるよな。…いかもの食いだって)
 どう見ても、自分と澄也じゃ合わない。澄也が気まぐれにしろ、意地悪にしろ、翼を相手にしたのは気の迷いだったとしか思えない。
(俺の一生……あとどのくらいなんだろ)
 突然足元から先がなくなり、真っ暗闇に放り込まれたような不安が押し寄せた。
(その一生で誰かを…愛したり、愛されたりなんて…あるのかな)
 優しくする。
 耳元で囁いた澄也のバリトン、あの、優しい響き。あんな声で誰かに囁かれること、あるいは囁くことが、この先あるのかな。
 痛がる翼の膝頭を撫でていたあの掌。
 あの時、嬉しいと思っている自分がいた。愛されている、みたいで。そのことが単純に、嬉しかった。
(俺、そんなに誰かに…愛されたいのかな…?)
 考えなければよかった。足元に広がる不安を、見てしまうととたんに、築き上げている強さが崩れてしまう気がする。
 頭を振って考えをほどこうとしていたら、「シジミちゃん」と呼ばれた。
「頭の体操してるのン?」
 歩いてきたのは兜だった。翼はホッとした。人が来てくれたことで、暗い不安の闇がひいていく。
「お、澄也だ。うわぁ、お盛んだねえ、相変わらず」
 翼の肩越しに窓を見た兜は、シジミちゃんもご覧よ、と言いながら翼の体を回転させ、窓に押し付けた。そのまま、まるで抱き込むように後ろに立ち、翼の顔の横に腕をついて囲んでしまった。窓に張り付いた体勢で、翼は兜を振り向く。
「先輩、悪趣味ですよ」
「いいじゃない、楽しいじゃない。あ、シジミちゃん、近くで見るとずっと可愛いよ。お肌ツルツルだし、お目眼、ちょっぴり青いんだね?」
「ツバメシジミの色は瑠璃なんで」
「甘くていい匂いするね」
「澄也先輩の匂いじゃないスか?」
 うつってるらしいから、と呑気に答えた翼に、兜はにやあっと口の端を持ち上げる。
「いやいや、オレが澄也の匂いなんて甘いと思うわけないじゃない。シジミちゃん、自分で気づいてないんだね。蜜みたいな匂いするよ。たまんないなぁ、オレ、蜜、大好きだから」
 ああ、カブトムシですもんね、と言いかけた翼の肩を抱きしめて、兜が不意に首筋を舐めてきた。
「ひゃ…っ」
「お、感度良好。ね、シジミちゃん、澄也の糸もよかったかもしれないけどさ…オレのツノも結構いいよ? シジミちゃんのこと、オレのツノでつんつんさせてほしいなぁ…」
 空いた片手で、兜が翼の尻をもんだ。翼はぎょっとして兜を見上げたが、その瞬間唇を重ねられた。
「…んっ」
 差し込まれた舌から、蜜の味がした。兜の腕を振り解こうとしたが、逞しい体はびくともしない。
(やば……)
 甘い蜜はとろとろと口の中を溶かし始める。膝から力がぬけそうになったとき、突然物凄い力で引っ張られた。ドカッと音がして、翼に張り付いていた兜が「あいた〜」と言いながら廊下に転げた。
「貴様、いい根性してるな…!」
 低くうなったのは澄也だった。翼は澄也に肩を抱かれて引き寄せられた。
「いたぁ〜い、澄也クン」
 背中をさすっている兜は、にやにや笑いをおさめていない。嘘をつけ、と澄也が舌を打つ。
「咄嗟に殻を出して体を守っただろうが、クソカブト」
「そんなに怒るなよぉ、ジョーク、ジョーク。澄也クンどうするのかなあ〜って思って、やってみただけだしい」
 舌打ちし、澄也は翼の腕を掴んだまま歩き始めた。
「あ、今生徒会室空いてるよ」
 背中から追いかけてくる兜の声に、澄也が「黙れ!」と怒鳴った。
(な、何なんだよ?)
 ぐいぐいと引っ張られながら、翼は混乱した。
 だって、澄也先輩はさっきまであの「趣味」な男とキスしてたのに。
 それがどうして、今、翼を連れて歩いているのかワケが分からない。
「せ、先輩、何処に行くんだよ?」
 澄也は答えない。廊下の先にあるエレベーターに翼を押し込んで自分も乗ると、最上階のボタンを押す。同時に引き寄せられて、唇を奪われた。
「…んッ、ちょ…」
 疑問符を挟む間もなく、澄也の唇から流し込まれた甘い唾液で翼の体はびくん、と波打った。歯列をなぞられ、唇の薄い表皮をちろちろと刺激され、ぞくぞくしたものが背筋を駆けた。
「んん…ふぅん…」
 声が甘いものに変わる。膝から力がぬけていき、落ちそうになった腰を澄也が支えた。
エレベーターが停止すると、そのまま抱き上げられる。正面に現れた重厚な木の大扉、キスされながらとらえた視界の端に、『生徒会室』と映っていたような気がするけれど、部屋に入ったところで澄也にソファへ投げ出されて、翼はそれどころじゃなかった。
「せんぱ……ちょ…何すんだよっ」
 のしかかってくる体を押しのけようとするけれど、腕にうまく力が入らない。両手首に糸束が巻きつき、動きを封じられてしまう。
「体はもういいんだな? 俺がいると分かっていて、兜に触らせるとはいい度胸だ」
「な、何の話だよ…ッ」
 兜は勝手に触ってきただけだし、澄也がいる前で触られたからと言って、怒られる理由が分からない。
「お前の体には俺が仕込んでやる。カブトムシには、到底味あわすことのできない快感だ」
 戒められた両手首がピンと引っ張られ、暴れようとした足首にも糸が巻きついて動きが封じられた。と思うと、突然うねうねと蠢く糸束が数本、翼の体の上を這いずり始めた。
「ちょ…やだ、何だよこれっ」
ズボンの両裾から糸束が一本ずつ入り込み、足を舐めるようにして撫で上げながら翼の性器のほうへ向かっていく。
「…ッ、うん…ッ」
 内股を刺激され、うなじから背にかけて毛が粟立つ感じがする。
もう二本の糸束が、くねくねとうねりながら鎖骨を刺激し、襟元から服の下へ侵入した。
 糸束の先はじゅんと濡れていて、甘い匂いがした。澄也の媚薬だ。
 その毒にさらされる気持ちよさがどんなものか、もう知っている翼の体が熱くなる。
「や、やだ…と、とれよこれ…あっ…んっ」
 襟元から入り込んだ糸束が翼の乳首に吸い付く。きゅうっと吸い上げられ、服の下で感じた乳首が尖る。
「女のように、乳首で感じる体だな、お前は」
 冷たく嗤う声。ズボンの裾から入った一本がペニスを、もう一本が恥孔を撫ではじめ、翼はびくりと震えた。
「……う、あっ、はぁんッ」
 脳芯がびりびりと震え、その後、力がぬけていく。巻きついた糸が翼の乳首をくにくにと刺激し、下半身に熱が溜まってペニスが勃ちあがる。
 どうしてか分からない。どこを刺激されても、なぜかペニスの先っぽがヒクヒクと感じてしまう。
(…や、やだって……ああ…、気持ちい……なんて…)
 胸をそらしたせいで、薄いシャツの下で乳首をいじりつづける糸束の動きがくっきりとうつる。服の上から、澄也が糸束ごと翼の乳首を掴み、くりくりとこねまわした。
「ああ……や、やだぁ……っ」
 真っ赤な顔で、翼は体をびくんびくんとしならせた。
「尻が揺れてるぞ……淫乱蝶」
「……や、」
 股が開き、ズボンの下で勃ちあがったペニスの先端が濡れて、下着を湿らせている。じっとり濡れた糸束が、翼の亀頭にすいついてゴシゴシと擦り、敏感な先っぽに熱が溜まって、体がうずうずともどかしい。気づかぬうちに、尻がゆらゆらと揺れてしまう。
「あああっ、あ、いや…だ、あん…ッ」
 アナルに濡れた糸束が入り込んできたとき、翼の背が大きくしなった。内壁を優しく擦りながら奥まで入り込んできた糸束が、中でじゅんじゅんとそぼ濡れてうねり、一番感じやすい部分をもどかしい弱さで擦る。
だめだ、気持ちよすぎる。
「ああ…んっ、んんっ、はん…ッ」
 身悶えて感じている翼のことを、澄也がじっと見下ろしている。ズボンの前を膨らませ、背をしならせ胸を尖らせて女のように喘いでいる姿を見られていると思うと、耐えられない恥ずかしさが押し寄せてくる。
(なのに……なんで…あ、俺…)
 お尻が揺れてしまうのを、止められない。中の糸束をぎゅうっと締め付けて、奥へ吸い込んでしまう。
「たった二度抱かれただけで、相当な淫乱だな」
 せせら嗤われ、翼の目尻に涙が溜まった。普段ならこんなことで泣いたりしないけれど、今は気持ち良さと恥ずかしさで余裕がなく、とても抑えていられない。
(い、いやだ…こんなの……)
 確かに気持ちいいけれど、糸束は澄也が出して動かしているものだけれど、でも、体温がない。
(やだ……こんなんなら……)
 澄也のがほしい。
 澄也ので気持ちよくしてほしい。
「もっと強い刺激がほしいだろう」
 挿れてくれるのか、と思って、翼はコクンと頷いた。けれど澄也のものが入ってくるわけではなく、尻の中で蠢いていた糸束の質量がぐんと増えて、その抽送が激しくなった。
「あっ、あああんっ」
 ぼろぼろっと涙がこぼれた。翼の痴態を見るように覆いかぶさってきた澄也が、その涙を舐める。
「気持ちいいか……?」
(気持ちいい、気持ちいいよ……だけど、だけどさ…)
 廊下で抱きあってた男には、こんなこと、しないんだろ…?
 どうしてこんなことが知りたいのか、翼は分からなかった。あの男は自分からキスをしかけて、澄也はそれに応えていた。求められて、求めて。ああいうのが、対等って言うんじゃないかな。
(俺にこんなことすんのは…ロウクラスだからかよ…? 俺は趣味じゃなくていかもの食いだから……シジミチョウだから…ちゃんと、抱いてくんねえのかよ…?)
「あっ、ああっ、あっ、はあっ、ふん……ッ」
「お前はシジミチョウだから、頭が悪くて分からないかもしれないが、簡単に男に近づかせるな」
「あっ…あたま、わる…って、あふ、うん、ひで…ひでぇ」
 翼の目尻から、こぼれる涙が止まらない。
 乱暴なことをされているわけじゃないのに、気持ちはずたずただった。
(どうして、俺、こんなひでぇこと言われながら、抱かれなきゃならないんだよ? …そもそも、これ、抱いてるわけでもない)
 翼の奥で、糸束がぐにゅぐにゅと回転しはじめた。敏感な部分を何度も強くこすられ、突き上げられる。下半身がヒクヒクと震え、翼は顎を仰け反らした。
「あああんっ」
 びくんっ、と引きつったとたん、ズボンの中で翼のペニスが弾けた。生暖かい液体が下半身を濡らすのと同時に、甘い花蜜の香りが、どっとあふれ出す。
 澄也がついばむように口付けてくる。尻の中から濡れそぼった糸束がずるっと這い出す。手足の戒めが解かれ、ペニスや乳首をいじりつづけていた糸束もするすると消えた。
 自由になった瞬間、腹の底がカッと熱くなった。
 バシイッ、と張り詰めた音がした。
 澄也の頬をぶっていた。
「アンタなあ! ふざけんなよ、二度も強姦まがいのこと…ッ、勝手に人のことヤリやがって…胸糞悪いぜ!」
 ぶたれた澄也の目つきが、きつくなる。
「気持ちよかっただろうが? 何が不満だ」
「不満だらけだ! こんなこと、二度としてほしくない!」
「本気で言ってるのか?」
 澄也がギリ、と歯ぎしりした。
「当たり前だろ、アンタが、俺を好きだっていうならまだしも……」
「うぬぼれるな、何で俺がお前みたいなシジミチョウを好きになる」
 鼻で嗤われる。翼の胸の中が、ざわっと波立った。
 シジミチョウ。
 ロウクラス。
 あー、そうかよ。
 頭の中で、ぶちっと血管が切れた気がした。覆いかぶさっている澄也の腹を、渾身の力で蹴りつける。ふきとばしこそしないものの、澄也の体がよろけたすきに、翼はソファから立ち上がった。床に落ちている、部活の一覧表を取り上げると勢いよく丸めて、澄也の頭に投げつける。
「階級! 階級! 階級! そんなもんが食えるか!」
「貴様……」
 ぎろりと睨みつけてきた澄也は、ソファから立ち上がろうとして動きを止めた。
 翼の頬に、大粒の涙がこぼれた。
「……俺がロウクラスでシジミチョウだからって…アンタ、俺を物抱くみたいに…そういうの、ひどいと思わねえ…?」
 最初の時は。
 優しくしてくれたのに。
(期待してた俺がバカなんだけど)
 結局相手はタランチュラなのだし。
「…おい、泣くな」
「あんなので抱かれるくらいなら、アンタのでされたほうがずっといい。……ハイクラスのアンタには、分からないだろうけどな!」
 澄也が眼を瞠ったが、翼はこれ以上ここにいられなかった。
 泣いているのも恥ずかしい。気が緩みすぎだ。
 涙を袖で拭いながら、バタバタと駆け出す。エレベーターに乗り込んで、一階を押す。湿った下着が気持ち悪い。寮に帰って、すぐ風呂に入ろう。
 翼、そんな学校、苦労するだけよ。
 耳の裏に、また、母親の声が聞こえる。
 分かってる、分かってるよ母さん。だけど、決めたんだ。
 決めた――。
(そう、俺、自分で決めたんだ。選んだんだ。傷ついてもいい。自分で選んだ人生を生きたいって……だけど、)
 だけどあの時は知らなかった。傷つくことがこんなに苦しいなんて……。
 手の甲を唇に押し付けて、嗚咽をかみ殺す。
(命の価値にも、存在の価値にも、階級があるのかよ…?)
 ままならなくて、どうしていいか分からなくなって、じくじくと痛む胸を抑えたまま、翼はゆるゆると移動するエレベーターの中にうずくまった。


  

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