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その知らせは、唐突だった。
「陛下…」
美しく着飾ったスヴァリがアルダフェズルの元を訪れたのは、暖かい晴れた日だった。
アルダフェズルは、彼女のキツ過ぎる香水に内心眉を寄せ毒づいたものの、表面上はいつもの無表情のまま何の用だと問いかけた。
アルダフェズルは現在、今だ敵対関係にある異国をどう攻め落とすか…正式な会議でないにせよ、古参の者たちと談笑交じりに会話をしていたのだ。
そこへ突然現れた王妃に、場の空気があからさまに変化した。
「陛下、お喜びあそばせ」
「?」
含みのある言葉に、アルダフェズルは眉を寄せる。
「わたくし、懐妊致しましたの」
途端に起こるどよめき。
ある者は立ち上がり祝辞を述べ、ある者は宴の用意だと駆け出す。
「…懐妊…だと?」
アルダフェズルは、目を大きく開け呟いた。
「ええ、陛下。男であればこのアルファズルの世継ぎ…」
「………を…」
「え?」
アルダフェズルの言葉を周りの騒ぎで正確に聞き取れなくて、スヴァリは聞き返したがアルダフェズルは苦笑だけを返した。
「…スヴァリ、大切な体だ。労わる様に…」
今夜は宴だと、アルダフェズルが声をあげる。
そした、立ち上がると妊娠が発覚したばかりの妻と喜びに溢れかえる場を後にした。
―――…余計な事を
スヴァリの耳には、そう聞こえた。
(気の所為ね…)
わたくしの美しさに見向きもしない人なんていやしないわ。
ほら、今も何人もの彼の配下達が祝辞を述べ、わたくしの美しさを称える。
スヴァリは、大輪の薔薇のような微笑を周りに振り向いた。
彼女が聞き間違いでない事に気がつくのは、後数ヶ月ほどの時間を要することとなる。
その夜は、盛大な宴が催されていた。
「アルに人の親が勤まりますかどうか…」
「…それを言ってくれるな、ガルム」
レグルスと同様、アルの親友であるガルム・ヘズは宴の席で、そう零した。
「…では、今から名前を考えなければなりませんね」
「まだ、男か女もわからぬのですよ、ガルム」
アルダフェズルの隣に陣取ったスヴァリが笑う。
「…どっちでも良いさ」
「…男にこした事は無いですけれど、ね。丈夫に生まれてくるのであれば、性別など必要無いでしょう。勿論、この世界は性別になぞ捕われておりませんが」
ほほほほ…スヴァリが笑うのをアルダフェズルは横目で見た。それは、愛しい妻を見るものでなく……。
「…ガルム。命名は全てお前に一任する」
「陛下っ!!」
スヴァリの叫びに、華やかに喜びを称えあっていた場がシーンと静まりかえった。
「何をおっしゃっているのですか、陛下っ!この腹の子は、正式なるアルファズルの御子。アルファズル皇帝アルダフェズルと、その正妃である私、スヴァリの第一子なのですよ?! それなのに…!!」
「そう喚くな、スヴァリ。ガルムは学者。良い名前の候補など、吐いて捨てるほど思いつくだろう。ガルムに任せれば、きっと素晴らしい名前を思いつくさ」
スヴァリは、アルダフェズルとガルムを交互に見やって、そうですわね…と呟いた。
「では、ガルム。この子に相応しい名前を考えて頂戴」
微笑んだ、刺のある大輪の薔薇に向かい、ガルムは穏やかに微笑み返した。
「しかし、アル。真名は、貴方がつけられるのですよ。真名までは、私にはつけられませんから」
「…あぁ…」
アルダフェズルは、面倒くさそうに呟くとそのままグラスの中の酒を一気に呷った。
「兄様っ!」
宴の席に、ロキが駆け込んで来たのはその時だった。
「ロキ、こっちだ」
そして、スヴァリの反対側の自分の横を、ぽんぽんと叩いた。
ロキは、一瞬怯む。
なぜなら、兄の妻であるスヴァリが、物凄い形相でロキを睨みつけたからだ。
「…でも…」
「…ロキ」
有無を言わさない声色に、ロキはスヴァリから視線を反らして、なるべく彼女を見ないように気をつけながら、アルダフェズルの横に座った。
+++++
アルダフェズルは、女性といた。
「あの女は、貴方には相応しくないわ。…ただ、顔が良いだけじゃないの」
女は、アルダフェズルに寄り添って毒づいた。
「ねぇ…陛下」
優しくもなければ乱暴でもない…つまり、どうでもいいといった手厚さで、アルダフェズルは女を寝台に押し倒した。
「…ねぇ、陛下…。私が、陛下の御子を身篭ったら?どうなるかしら?」
「……下らない」
くすくすと笑う女の肌を肌蹴させていく。
そんなに熱心でない愛撫に、女は乱れていった。
それを見ながら、アルダフェズルは頭の芯が冷えていくのを感じる。
…汚い。
…醜い。
どうして、自分に寄って来る者達はこんなにも醜いのか?
一体、自分の存在とはなんだろうか?
もし…。
例えば…。
自分が、一介の魔族だったとしたら?
帝国・アルファズルの皇帝ではなくなった自分は、一体何の価値があるのだろうか…?
もし、一介の魔族であれば、ロキと供にある事を望めただろうか?
……答えは…
「あん。ああーーーっ!! 陛下、注いでくださいましっ!!」
……汚い。
「あん、陛下ぁっ!陛下の精を、私に、私に…っ!!」
……醜い。
けれど。
「…そんな俺は、もっとキタナイ」
意識の無い女をみて、吐き棄てた。
スヴァリのお腹が順調に膨らんできた頃。
その噂は、唐突に広まった。
それは、勿論…ロキの耳にも入ることとなる。
王宮のあちこちで囁かれる噂。
『シュシュ様が、ご懐妊したらしい』
『もう既に、四ヶ月とか…』
『お相手は、陛下らしいではないか』
『暫くナリを潜めていらっしゃたのに…また悪いクセがお出になったようだ』
『スヴァリ殿がお荒れになるぞ』
『気位が高い方で、ロキ様にすら嫉妬なさっていたお方だ』
『荒れるだけではすまされないだろう』
『そうだ』
『そうよ…』
荒れるだけではすまされないだろう。
『妹に夫を寝取られたなんて……!』
聞きたくないと、ロキは頭を振った。
一体何がどうなっているのか、ロキにはさっぱり理解できない。
(だって…スヴァリ様は兄様の御子をご懐妊で…シュシュ様は、スヴァリ様の実の妹ではないかっ!)
頭では、この世界がどういった形の恋愛観を持っているか知っているが、あの兄がそんな不誠実な…それも、姉妹をあいてどるなんて思いつきもしなかった。
ロキは、それこそ箱入りに育てられてしまった。
アルダフェズルの腕の中、何処にも行けずに行こうともせずに、ずっと……。
だから、この世界でそんな事が頻繁に起こっているなんて、知らなかった。
(ただの噂だよ…きっと、きっと…)
ロキの、そんな性格を知っているアルダフェズルは、頭を抱えた。
どうしようか…。
今朝、正式にシュシュがアルダフェズルに懐妊の知らせを告げた。
「…どうすれば…」
彼が悩んでいるのは、妻に不徳を知られるからでも愛人の子が生まれるからでもない。
ロキ。
あの美しい弟に、なんと説明すればいいのか……。
ただでさえ、魔族とは思えないほどの純真な心を持ち、尚且つ己の腕の中で純粋培養してきた、あの弟が…!
それだけが、アルダフェズルの暗黒界にも類をみないような頭脳を悩ませている。
シュシュの相手が自分ではない…その希望を持ちたい。
けれど、その希望はとてつもなく希薄そうだ。
産まれてしまえば、絶対にわかる。
その子が、アルダフェズルの子だと。
シュシュとて愚かではない。アルファズルの一族の特性を知っている。
アルファズルの一族の特性。
それは、体のどこかに何かしらの刻印が浮き出ること。
勿論、一族と言えど血統の薄いものには存在しないだろう。
けれど、幸か不幸かアルダフェズルは直系として生まれた。勿論、アルダフェズルの子供にもその刻印は間違い無く浮かび上がるだろう。
シュシュとて、その確信があるのだ。
「陛下っ!! どういうことですっ!?」
そんな時に殴りこんできたのが、スヴァリだった。
大きなお腹を抱え、スヴァリはアルダフェズルに詰め寄った。
「…どうしたもこうしたも。シュシュと交わった。それで子が出来た。それだけだろう」
今のアルダフェズルに、妻になんぞ構っている余裕は無い。
「わたくしというものがありながらっ!! わたくしの妹と交わったですってっ!!」
「…体にさわるぞ。さっさと自室に戻って、大人しくしていろ」
スヴァリは、きっとアルダフェズルを睨みつけた。
「貴方は…貴方は…わたくしではなく子供だけが必要なのですかっ!!」
興奮したように捲し立てるスヴァリを、アルダフェズルは冷めた瞳で見返した。
「この、このような侮辱、耐えられませんわっ!! まるで…まるでわたくしがただの子造り機のようではありませんかっ!」
「……」
「わたくしよりも、シュシュが言いとおっしゃるのですかっ!?…貴方は、最低ですわっ!!」
すぅと、アルダフェズルの瞳が細められた。
「…今ごろ気がついたのか?」
「え?」
「…貴様が神官の娘でなければ、誰が好き好んで満足に男の相手も出来ずただ煩く騒ぎだてるしか能の無い醜女を妻に娶るものか。まったく、懐妊だと?貴様も妹も余計なことだけをしおって…」
スヴァリは、目を大きく開けポロリと涙を流した。
「…では…では…わたくしを愛してなど…この腹の子も必要ないと…?」
「いるわけが無かろうが」
「あっ…あぁぁぁーーーー!!!」
崩れ落ち泣き出したスヴァリを、アルダフェズルは眉を寄せて一瞥した。
十月十日が経った。
あの後、体調を崩したもののスヴァリのお腹の中では赤子が順調に育っていった。
そして、とうとう。
スヴァリは、男の子を産み落とした。
「あなたなんて…要らないのよ」
産まれたばかりの赤子の頬を撫でながら、スヴァリが呟く。
「産まれてなんてこなくても、よかったのよ……」
赤子はすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
「バカな子…要らない子…どうして産まれてきたの?…迷惑なだけだというのに…」
この子がいなければ、自分は夫に愛されただろうか?
あのような屈辱を受けずとも…よかっただろうか?
宴は、盛大だった。
それこそ、お祭りのようであった。
アルファズル帝国初代皇帝、アルダフェズルの後継ぎ。
その誕生を祝う宴は、城下にも広がっていた。
「兄様、呑み過ぎだよ」
「そうだぜ、アル。呑み過ぎだ」
どんどんと酒を呷るアルダフェズルを、ロキは心配そうに見上げた。
「大丈夫だ。俺は酒には強い」
「でも……」
レグルスと二人顔を見合わせる。
「こらっ!ロキ!」
「はいっ!」
ぐいっと、顔を引き寄せられてロキは慌てて返事を返した。
「レグルスなんぞといちゃつくなっ!兄といちゃつけっ!」
「はぃ〜?」
けたけたと笑いながら、アルダフェズルはロキの腰に腕を回して引き寄せてしまう。
「…ダメだ…。アルのヤツ、完璧酔ってやがる」
「まぁまぁ、よいではありませんか」
そんな三人の元に、酒瓶片手にやってきたのは軍師・ガルムだ。
「はいはい。アル、どうぞ。おつぎしましょう」
トポトポとガルムがアルダフェズルのグラスになみなみと酒を注ぐ。
「ガルム。アルをあまり甘やかすなよ」
レグルスが親友を軽く睨みつける。
そして。
ガルムのこの行動が、最悪の結果をもたらす事を誰も知らない。
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