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「あの親父殿が興味を示すとは…面白いね」
クスクスと、いつの間に次男の瑠がそこに立っていた。
アルダフェズルが去った今でも、今だざわめきは収まらない。
「ほぅ…珍しいな。今回ばかりは意見があった」
口元に嘲りを浮かべながら、凛は弟を見やった。
「そりゃ、合うんじゃないの?兄弟なんだし……ねぇ?オニイサマ」
クスクスと笑いながら瑠が去って行くのを、凛は睨み付けるようにして一瞥したあと反対方向へと歩き出した。
+++++
パクパクと食事を取る童女を、童女を挟んで凛の反対側に陣取ったアルダフェズルは目を細めて見ている。
「うまいか…ちっこいの」
「……かーたまのがおいち…」
「…そうか」
凛は、目を細めて微笑む父を『まったく、バケモノのようだ…気色が悪い』などと思いながらぼんやりと眺めていた。
凛は、こんな父の表情を見た事がなかった。
噂に、聞いた事がある。
親友に、裏切られたのだと。
けれど、詳しい事はわからない。
何故なら、その事について誰もがアルダフェズルを恐れ口を開こうとしなかったからだ。そして、凛は、その事に興味はなかった。
「家は?」
「ウナヴァーガルの森にて、薬師を営んでいる」
食事に夢中の童女に代わり、凛が答えた。
「ウナヴァーガル?そんな所でか?」
「…チビの母親とチビが、そこの魔獣達に好かれている」
凛は、簡単に説明を付け足した。
ふいに。
アルダフェズルの瞳に、あるモノが止まった。
結い上げられた黒い髪。
その髪を結っている……
「これ…は?」
声が僅かに震え、アルダフェズルはその髪留めに手を触れた。
「ちっこいの…これは、お前の…か?」
ヘルが顔を上げる。
「ちがう…かーたまの…。かーたまの大切な人から、貰ったって…」
その途端、アルダフェズルの瞳の色が変った。
「親父殿?」
勢いよく立ち上がったと思ったら、ヘルを抱え上げる。
「親父殿!」
「アル!」
凛とガルムの叫びが重なる。
「これは…俺が、ロキに……」
呟いて、腰に差していた剣を鞘から抜いた。
それを一振りすると、それはアルダフェズルの身の丈もあろうかという大きさとなる。
【漆黒の脅威】
アルダフェズルのファルシオン。
それで、アルダフェズルは目の前の窓側の壁を破壊した。
「親父殿!」
「陛下っ!」
家臣達の叫び声の中、アルダフェズルは宵の中へと漆黒の翼を広げた。
「親父殿っ!ヘルをどこへっ!」
「凛様!たしか、あの子の家はアウストリの南ウナヴァーガルでしたねっ?」
ガルムが凛に向けて叫んだ。
「ああ…それが?」
「…まさか…灯台下暗しとは…。殿下、陛下を追うのです!」
そして、またガルムも翼を広げる。
――これは…俺が、ロキに…
ガルムは、それだけで全てを悟った。
+++++
『あの子が戻ったら、この森を出よう』
レグルスは、そう言って街へ移動に必要なものを揃えに行った。
ロキは一人、家の中で腕を組んでじっとしている。
この森には長いこと住んでいた。
(あの時、凛を泊めなければよかったの…?)
問いかけても虚しいだけだ。
何故、あの青年を邪険に扱うことができよう?
甥を。
忌み嫌われる宿命を背負った、愛する人の息子を……!
「かーたまーー」
明るい声がした。
「ヘルヴォルっ!」
ロキが玄関の戸を降り返ると、そこには心配して止まなかった愛しい我が子の姿があった。
「かーたま…ただーま」
「ヘルヴォルっ!無事でよかったぁ…一人で帰って来たの?」
ロキは、童女…ヘルヴォルを抱き上げてその頬に自分の頬を押し当てる。
「ちがう…いっしょ…」
「一緒?」
ロキは、その声に押し当てていた頬を離した。
「ロキ……」
こぼれんばかりに、ロキが目を見開く。
そこには。
漆黒の髪に赤い瞳を持ち…
顔に【紅の竜】の刻印のある……!
「にい…さま…」
アルダフェズルが立っていたのだから。
「見つけた…やっと…」
その言葉に、ロキはヘルヴォルをぎゅっと力強く抱きしめた。
「かーたま?」
「…その子は、お前の子なのか?」
「……それが…どうかしたの…」
声が震える。
「相手は…!」
それは、怒号だった。
「もう、兄様には関係のないことでしょう!」
「俺の傍を離れるなといったはずだっ!」
「俺はもう、子供じゃないっ!兄様の思う通りの…お人形ではいられないっ!」
大人しい弟では……。
「ロキ…お前…っ!」
掴みかかろうとしたアルダフェズルの手を、止める手があった。
「レグルスっ!」
叫んだのは同時だった。
「…やめろ、アルっ!」
「貴様っ!よくもっ!」
アルダフェズルが、レグルスに掴みかかった。
「兄様っ!レグルスに手を出したら、ただじゃおかないっ!」
その言葉に、アルダフェズルの手が止まった。
ロキが…
あの、ロキが…
(俺より、レグルスを…)
「帰って!皇帝陛下がこんなところにいつまでも居ないで!俺達は、明日にもここを出て行くから!」
「ロキ……」
「もう、二度と会いたくないっ!」
それは、きっぱりとした拒絶だった。
「……わかった」
「ア…」
レグルスは呼びとめようとしたその言葉を飲みこむ。
「…元気で、兄様……」
立ち去って行く兄の背に、ロキはそっと呟いた。
「いいのか…行かせて…」
「いいんだ…これで」
ロキは、涙を流しながらそれだけを呟く。
「かーたま…痛いの?」
ヘルヴォルがその涙を、上質の布で拭き取る。
「ううん…。大丈夫だよ…大丈夫、なんだ…」
それは、自分に言い聞かせるものでもあった。
+++++
俯き加減に歩くアルダフェズルの姿を見つけたガルムは、慌てて走りよった。
「アルっ!」
「……ガルムか…」
今日は珍しいことも起こると、無理矢理ガルムに連れて来られた凛はぼんやりと思う。
「アル…大丈夫ですか…?」
「……てた…」
「え?」
それは、聞き取れない声だった。
アルダフェズルが、片手で顔を覆う。
「生きて…たんだ…あの子が…ロキが…生きて…」
その声に涙が混ざって居ることは明らかで。
「もう…ダメかと…でも、生きてたんだ…ガルム…あの子は…元気に」
――レグルスと…
呟いた声に、ガルムが微かに眉を寄せた。
「それで…ロキは?」
「……もう、二度と会いたくないと…。それでも…今はいい。生きていた…それだけで…」
ばさばさっと、漆黒の翼が広がる。
「…いつか、取り戻すから…」
そして、闇色の空へと羽ばたかせた。
「ガルム。親父殿は一体…?」
ガルムは、アルダフェズルの飛び立った後を見ながらぽつりぽつりと、語り始めた。
「昔…瑠様が産まれた日の事です。アルの最も愛した弟、ロキがアルの親友と共に消えたのは…」
「…まさか、それが…?」
「あの、童女の母親でしょう。あの髪飾りは、アルがロキに贈った物でしたから…」
カタンッと、音がする。
「…凛」
「……まさか、叔父だったとはな」
「黙っててゴメン」
ロキは、ヘルヴォルを寝かしつた直後に現れた凛にそっと微笑んだ。
「では、お前がレグルス・フィン。騎士団々長か…」
「俺はもう、お貴族様でもなんでもねぇよ」
その言葉に、凛は鼻で笑った。
「そう思っているのは、貴様と周りの連中だけだ。少なくとも、親父殿やガルムはそう思ってなど居ない」
「…アルは俺を憎んでいるさ」
「そうか?ならば何故、憎んでいる男の為、騎士団々長の名をそのままにしておく必要がある?」
「なに?」
レグルスは唖然と凛を見つめた。
「未だ、騎士団々長はレグルス・フィンだ。一度も会ったことがなかったので不審に思っていたのだが…。そういう理由か」
「…まさか兄様…レグルスや俺がいつ帰ってきてもいいよう…に?」
凛が、その身を翻す。
「さぁな。私は何も知らんよ。親父殿の事など…親父殿が考えることなど、何も」
そして、そのまま闇へと消えた。
+++++
ロキが。
移動に必要な分の金を稼ぐ為、薬を調合しているレグルスにヘルヴォルを預けて街へ食料を買いに行って帰ってきた時。
ウナヴァーガルの森は死んでいた。
「レグルスッ!」
ロキの悲鳴が上がる。
家は破壊し尽くされて、レグルスはその隅にうずくまっていた。
「レグルスッ!レグルスッ!」
慌てて駆け寄る。
森の中は魔獣たちの死体で産め尽くされている。
「なにが…!」
傷だらけのレグルスは、ロキの腕を掴みその瞳を見上げた。
「王宮へ…ヘルが…ッ!」
「レグルスッ!」
「俺は良い…ッ!…大丈夫だ…」
こんなモノ、慣れっこだから。
ロキは、ふと目に付いた腕章を取り上げた。
「…兄様…なの…?」
「……」
許さない…
ロキは、唇を噛み締めた。
+++++
アルダフェズルは、ガルム、凛を始めたとした重役達と共に次ぎに落とす国についての対応を話し合っている途中だった。
しかし、肝心の皇帝は上の空で軍師ガルムが話を纏めている事態だ。
その知らせが入ってきたのは、そんな最中。
「陛下っ!アルダフェズル皇帝陛下っ!」
その騎士は慌てたように会議室へと転がりこんでくる。
「なんですか、騒々しい。会議中ですよ」
ガルムの声にも耳を化さず、騎士はアルダフェズルの前に膝を着いた。
「ロキ様が、お戻りに…っ!」
がたんっと、アルダフェズルが立ち上がる。それに続いて起こったざわめきの中、ガルムも凛も立ち上がった。
「ロキが…戻った…?」
「はい…しかし…」
激しい物音と共に会議室のドアが開かれる。
「兄様っ!」
その瞳が、真紅に燃えていた。
一目で、怒っているとわかる真赤な瞳。
「ロキ…」
「ヘルヴォルは…あの子はどこっ!」
「ヘルヴォル?」
「チビがどうかしたのか…?」
アルダフェズルが、ヘルと言う名で呼ばれていた童女が、その名だということを悟る。
「知らぬが…」
「知らないっ?じゃあ、なんでウナヴァーガルの森は死んだのっ!レグルスが、やられて…どうしてヘルヴォルが…俺の子が攫われたのっ!」
周りが、ロキの『俺の子』という発言にざわめき出した。
「レグルスがやられたですって?」
そんな中、ガルムが驚いたように目を見開いた。
「レグルスは、あの騎士団長ですよ…それが、そんな簡単に…」
「大勢で騎士団と軍隊が押しかければ、レグルス一人じゃ太刀打ちできないっ!」
「!」
その言葉に、アルダフェズルは声を失った。
軍隊?
騎士団?
それは…
「俺は、何も命令していない。お前と会った事を、ここにいる連中にも告げていなかったのだから」
ロキが唇を噛む。
しかし、直ぐにキッと前を…アルダフェズルを睨み付けた。
「では、皇帝陛下っ!」
他人行儀なその呼び名。
「この紋章は、誰のもの!」
騎士団の紋章の下に、もう一つ小さな紋章。
それは、その騎士がどの分隊の者か示す紋章だった。
「これは…」
「……母上様のだね」
軽い声。
しかし、その瞳には戸惑いと侮蔑が含まれていた。
「…母上…君は?」
「僕は、瑠。瑠・スキルヴィング・アルファズル」
ロキは、はっとした様にアルダフェズルの視線と自分の視線とを絡めた。
「では…あの子は、シュシュ様が攫ったの…?」
「そうだろうな」
カツカツと、アルダフェズルがロキの元へと歩み寄った。
「誰かっ!シュシュの居場所を知らぬかっ!」
ざわめく者達が互いに詮索し合う。
「大丈夫だ…。あの子は、お前の子だろう…大丈夫だ」
なんの慰めにもならないだろうが、アルダフェズルは『兄』として不安に揺れる弟の瞳を見つめ、囁いた。
「確か、西の塔にご用があるとか…」
誰かが呟く。
くるりと背を向けたロキは、アルダフェズルと共に駆け出した。
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「冗談じゃないわ」
ロキが…。
あの子が生きていたなんて!
「おまけに子供までいるなんて!」
これでは、都合が悪い。
ただでさえ凛がいるのに。
あの、弟を溺愛するアルダフェズルの事だ。
凛ではなく、ロキに全てを委ねてしまうかもしれない。
「冗談じゃないわ、本当に。これでは、なんのために姉様を追いやったか」
シュシュはそう呟く。
「いいこと、お嬢ちゃん。アナタはこれから、とても幸せな国にいくのよ」
「やー…かーたまのとこ、いくの」
「あとで会えるわ…あの世でね」
レグルス・フィンを殺せなかったのは失敗だったが、ロキ一人など相手ではない。
「シュシュ!」
塔の外から聞こえたその男の声に、シュシュは身を強張らせた。
「なんで…どうして皇帝陛下がっ!」
塔のバルコニーから慌てて見下ろす。
その隣に立つは…
「ロキ・ローレンズ…っ!」
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